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めぐデイサービス板倉、管理者の紹介動画

めぐデイサービス板倉管理者である「服部さん」の紹介ビデオを制作しました。

4分20秒ほどの動画になります。お時間ある方はご覧になってください。

また動画の下にテキスト文を掲載しています。動画が見れない方はそちらをお読みください。

『あなたの笑顔が見たいから』 ~めぐデイサービス板倉 管理者 服部優子~

デイサービス板倉から服部優子の突き抜けた笑い声が聞こえてくる。
服部は、物心ついた頃からお年寄りが好きで、いつでも慕われてきていた。おむつ交換も最初から抵抗がない。
ありふれた日常の会話は、誰に対しても分け隔てなく注がれる無条件の愛が込められている。かけがえのない時間を共有して共に生きること。最晩年を生きる人生の先輩たちの寄り添うこと。そこに「流れ作業のような仕事」という概念は視えてこない。
デイサービス板倉の体温のある一体感は、スタッフと利用者が共に向き合いながら10年の歳月を費やして育まれてきた。ときにスタッフ同士の食い違いや軋轢という厳しい時期もあったことだろう。
当然、利用者を見送っていくこともあった。その渦中にいつでも服部が懸命の奔走していた。 

服部の福祉のキャリアは、結婚後、夫婦共働きの仕事として、ヘルバーの資格を取ったことから始まった。

3年勤務して介護福祉士の受験資格を取ると、国家資格は一発で合格する。

 

新規の老人ホーム。認知症専門の施設。病院の看護助手。24時間365日稼働する施設で晩年を生きる人に寄り添ってきた服部は、生命の灯火が消えていく瞬間に何度も立ち会う。

これらの体験は平穏な日常は当たり前ではなく、かけがえのない時間という普遍的な価値を強く認識することになる。服部は屈託なく笑って自身の役目と哲学を短い言葉で伝えてくれた。
「若者でも老人でもいつどうなるかわからない。だから、今を楽しく生きるの」
服部は多くのことを経験させていただいたことに感謝して厳しい現場から身を引くと、女の子を出産する。当たり前の日常の中にある幸せ。

服部は新しい命を育みながら、最晩年を生きる命にもささやかに寄り添う。
それを可能にしてくれたのが、自宅から5分のデイサービス板倉だった。

立ち上げた当時のデイサービス板倉は利用者もままならず服部は小沼社長と営業に回る日々だった。
服部は当時を面白おかしく話してくれた。
「あの頃は思いはあっても、本当に何もなくて。お給料なのか社長のポケットマネーなのか、封筒に入ったお金をそっと渡してくだあることもありましたね。今はびっくりするぐらい会社は大きくなっているけれど、社長はあの当時のまま何も変わらないんですよね。屈託なく、突き抜けていて」

 

小沼社長は3歳になる服部の長女を保育に預けられないときは、デイサービスに連れてくることを率先して認めてくれた。長女はデイサービス板倉のマスコット的な存在となって、スタッフや利用者のみんなに可愛がられながら育っていく。

そうしてか、ごく自然と仕事を手伝うようになる。今を「楽しく生きる」母親の後ろ姿を見ながら。
「娘ありきでしたね。娘と一緒に成長してきたんです。みんないっぱい可愛がってくれましたね。人手が足りなかったときに、小学3年生の娘に、お茶出しやコップ洗い、みんなに本読んであげたり、紙芝居もやってくれた。めっちゃ働いてくれましたね」

小沼社長の母親が脳出血で倒れたのがきっかけで始めためぐグループの事業目的は「体温ある介護」。
経営方針のひとつとして最前線の管理者の裁量に任せるというのがある。

淡々と流れ作業のように利用者さんたちを扱えば、利用者さんたちは敏感に感じ取る。単に利用者とスタッフという枠を超えて、人と人が向き合う温かな場所にすること。

 

 

服部は先頭に立って、いつものように「今を楽しく生きること」を実践してみんなで共有する。
すると利用者さんたちから服部やスタッフに無条件で与えれくれる宝物がある。

「お世話をしている私たちが、与えられていると感じることがたくさんあるの。人生の先輩として生きてきた深みや経験、知識の広さ。互いに与え合っているような」
服部を中心にみんな育んできたデイサービス板倉にはお互いを慈しむ愛が存在してる。

 

「家にいるときのお母さんはどうなのか」と中学生になる長女に尋ねたときの答えだった。
「家にいても仕事をしていても、いつも同じだよ!」

 

服部優子は当たり前の日常こそ、奇跡の連続であることを知っている。

 

「いつどうなるかわからないから、今を楽しく生きるの」

<おわり>

めぐデイサービス板倉の詳細ページはこちらから

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